「沖縄戦慰霊の日 アンケートページ 7」

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14個の質問を用意しまして、それについてお答えを求めました。無理に回答を求める事はせず、回答が空欄になっている箇所が多くございます。

可能であれば、お名前・生年・居住地を尋ねています。




知念さま 昭和40年代生女性 那覇在住


1. 今日はどなたの慰霊に参られましたでしょうか?

祖父と祖母 他併せて5,6名 栄養失調で亡くなった人もいる

おばはひめゆり学徒隊だった。おじは首里一中師範学校で鉄血勤皇隊等にいた。


2. 平和の礎が出来てからどのくらいの頻度で訪れているでしょうか?

23日はいっぱいなので22日に来た。


3. 平和の礎が出来る前は、慰霊の日はどうしていたでしょうか?

首里高校や、ひめゆりに足を運んで慰霊。(沖縄各地で慰霊がある)


4. 沖縄戦について、誰からどのように学ばれたでしょうか?

父は小学校一年の時に宮崎へ疎開した。90歳になるおばさんからは少し聞いた。3年前に聞いた、それまでは語らなかった。おばは現在でも当時の事を夜寝てる時に思い出す。

学校の平和学習にも内容にバラつきがある。


5. 戦争中当時の沖縄県民について、日本軍の影響で「生きる」よりも「死」を選ばされたと思うでしょうか?

ひめゆり学徒隊の本を読むと、あったと思う。


5.2 日本軍が沖縄県民に死を強いた事はないという意見がございますけれども、どのように思いますでしょうか?

経験者の話を聞いているので、あったと思う。


6. 本土復帰50年になりますけれども、本土復帰当時は嬉しかったでしょうか?

(若くてまだ記憶にない世代)


7. いわゆる基地負担は感じますでしょうか?

普天間・嘉手納の存在などに、思いを寄せる事はある。


7.2  子供の時、20歳の時、現在、で考えると基地負担の理解はどのようでしたでしょうか?

問題解決へ動きが出ている面はある


8. 基地負担はなくなって欲しいでしょうか?

基地の負担と、基地の価値との天秤を考えている。アメリカの基地が日本にある価値を考え、基地関連で働いている県民がいるのを考え、その上で沖縄県の負担を考えると、負担と価値の天秤がつり合うような形を意識して考えている。


8.2 基地負担をなくすにはどのような方法が考えられるでしょうか?

(自分の住んでいるまわりでは)負担の話は聞かない。県外との負担の格差は意識している。


「その他、御意見を承りたく希望しています。」

ひめゆり資料館で読んだ実際の話の中には、辛くて最後まで読めない様な悲惨な話があったのが頭に残っている。ひめゆり資料館を目にすると、当時のひめゆり学徒隊の死亡者数は、ひめゆり学徒隊に解散命令が出た後の方が多い。せっかくお国の為に尽くしてきたのに、解散命令によって見放された格好になり、その絶望感から自決に及んだケースがあったのではないかと思っている。


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