「沖縄戦慰霊の日 アンケートページ 6」

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14個の質問を用意しまして、それについてお答えを求めました。無理に回答を求める事はせず、回答が空欄になっている箇所が多くございます。

可能であれば、お名前・生年・居住地を尋ねています。




糸満在住 当時6歳前後の女性(現在83歳前後) アンケート中、常に嗚咽をされていました。


1. 今日はどなたの慰霊に参られましたでしょうか?

姉、双子の兄弟姉妹(4名)


2. 平和の礎が出来てからどのくらいの頻度で訪れているでしょうか?

何年かぶり。


3. 平和の礎が出来る前は、慰霊の日はどうしていたでしょうか?

自宅で祈っていた。


4. 沖縄戦について、誰からどのように学ばれたでしょうか?

(自分が)14歳の時から母の看病をしている。父は兵隊として出ていた。当時お母様と兄弟姉妹とで避難。壕に避難している時に、母の帰りを出入り口の近くで待っている自分以外の兄弟姉妹の近くで爆発があり、亡くされた。(想像するに、その場面が甦って嗚咽が続いたのだと思う)


5. 戦争中当時の沖縄県民について、日本軍の影響で「生きる」よりも「死」を選ばされたと思うでしょうか?

(尋ねましたけれども辛そうに言葉を詰まらせる)


6. 本土復帰50年になりますけれども、本土復帰当時は嬉しかったでしょうか?

嬉しいばかりではなくて、他の心配も多くあった。今は喜んでいます。


7. いわゆる基地負担は感じますでしょうか?

糸満に住んでいるから(負担はない)。基地の近くの方の事は心配している。基地のおかげで生活している人もいる。


8. 基地負担はなくなって欲しいでしょうか?

(7,のお答えと、嗚咽があり、尋ねませんでした)


9. 地位協定についてどう思われますでしょうか?

(米軍に)助けられている面もあり、取り決めの約束事が破られる事なく、守って欲しいと思う。


(以上で区切りとしました。)


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