2019-5月 天皇即位に際し、国民主権の現状と「選挙棄権税」の提案

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  2019年は4月に平成時代の天皇明仁親王が退位されまして4月に令和時代の天皇徳仁親王が即位されました。5月4日には東京の皇居、長和殿ベランダで一般参賀が行われ、天皇、皇后をはじめ、いわゆる成年皇族の方々が、たくさんの人々の御挨拶をお受けになられました。

 神話の人物とされる初代神武天皇から代々受け継がれる天皇の位は、126代目、将来には令和天皇と呼ばれると思われる、徳仁親王に受け継がれた訳です。今月の記事では、126代、もれなく男系で受け継がれた天皇の位、その天皇の姿を中心に少考を記せればと希望しています。

 さて、昨今テレビや新聞などで時たま目に耳にする、天皇についての女系、男系の議論、これをお読みの皆様方はどのように思っていらっしゃいますでしょうか。一昔前までは天皇とは日本の国の一番の頂上にいる存在として認識されていたと思われますが、それはいつぐらいからでしょうか。

 現在は令和の時代、その前が平成、そして昭和となりますが、昭和の時代に一大転換点がありました。「神聖にして侵すべからず」とされた天皇の位は日本の敗戦によって「主権の存する日本国民の総意に基く」と規定され、その立場は我々有権者によって左右する事がハッキリされたのです。

 ここで話をいったん戻しまして、昭和から大正、明治へと遡ります。明治元年はいわゆる明治維新と重なり、それまで江戸幕府の下で、日本各地に250以上の大名がそれぞれ治めていた政治制度が、天皇を頂点とした日本政府によって治められる、いわゆる中央集権政治へと転換しました。明治維新から昭和の敗戦までの約80年、天皇は名実ともに日本のトップであったとこの記事では仮定します。

 ではそれより前、江戸時代の天皇とはどういう存在であったのか、江戸、戦国、室町、鎌倉の時代は、いわゆる武士が政権を握っていました。天皇は時の武家政権の意向を鑑み、権威の維持を図っていたものと考察します。

 ちなみに時の武家政権とは、源頼朝から始まる鎌倉幕府、足利尊氏から始まる室町幕府、徳川家康から始まる江戸幕府が考えられますが、他にも鎌倉北条氏や織田信長、豊臣秀吉など、それぞれの時代に政権を握った人物がいて、漏れなく武士であります。

 異彩を放つのは建武の新政と呼ばれる後醍醐天皇の時代がありますが、やはり武士が後ろ盾の政権であり、これも武家政権の歴史の一部と考えると、鎌倉時代から明治維新までの700年間、天皇は主体的な政治機能を持たない、語弊の恐れがありますが所謂お飾りの地位であったと仮定して記事を進めて行きます。

 ではそれよりも前、いわゆる平安時代、奈良時代、飛鳥時代はどうだったのでしょうか。鎌倉時代が始まる直前は、平清盛が武家政権の体を整えていました。そして平清盛と激しく対立したのが後白河天皇という人物です。後白河天皇が平清盛によって幽閉される事件が起こり、これによって天皇と武家の立場が事実上逆転したと考える事が出来ます。それまでの武家はあくまで天皇やその周辺の直属組織だったものが、平清盛以降の武家は天皇直属ではなく、独立した政府として機能して行く事になりました。では平清盛の転換点の前の天皇の地位はどうであったのか、これも事実上は似たような構図であり、いわゆる藤原氏が政治の大きな権力を握っていました。

 しかしここで武家政権と大きく違うのは、藤原氏が天皇と代々血縁関係を持つ事に腐心した点です。藤原氏というのは蘇我入鹿暗殺に始まる大化の改新で有名な中臣鎌足を祖とする家柄ですが、自家の女を天皇の后にする事で藤原氏の権威の維持発展に努めています。

 藤原氏の政治権力掌握において一つの大きな事件をあげると、729年に起きた長屋王の変です。当時の天皇の親族に長屋王という極めて有力な皇族がいましたが、藤原氏と対立した結果、長屋王は自害を強要されたのです。その結果藤原氏は皇族以外では初めて、自分の家からいわゆる皇后を入内させ、天皇家の外戚として有力な立場に立つ事に成功しました。

 これにつきまして個人的に思うには昭和の時代、正田美智子さんがいわゆる一般人から天皇家に入内した歴史を思い起こしますが、長屋王の変と対比するに、昭和の敗戦による米国の占領統治を考えるのが適当でしょうか。

 話を戻しまして、自前の武力を持つ武家政権以前においては藤原氏による外戚政権が日本を治めていたという事が出来ますが、重要なのは外戚でないと政権の立場が弱かった、更に言えば外戚でないと政権を握れなかったという点があり、ここに天皇の立場の強大さが伺い知れます。

 では天皇の立場の強大さはいつ始まったのか、これは諸説あると思いますが、今回例に出すのは先にも触れた、当時の政権掌握者、蘇我入鹿暗殺に始まる大化の改新、その主人公と評価されるのが中大兄皇子こと、第38代天智天皇です。彼が時の権力者であった蘇我入鹿を討ち取り、時を経て天皇として親政を行った事で、中世近代現代に繋がる天皇の権威が名実ともに完成したと仮定して今回の考察を更に続けて参ります。

 今回の考察で何故ここまで天皇の歴史について触れる必要があったのか、ここでその狙いを説明すると、要は一般庶民の日々の生活とは程遠い所で天皇の継承が行われて来たという私の仮説です。

 一般庶民あってこその天皇である事は古今を問わず変わらない筈ですが、歴史の事実を見れば代々の天皇の継承は時の権力者によって行われて来たと見るのが自然に思われます。そこに一般庶民が介在する余地はおそらく皆無であり、昭和の敗戦の結果、アメリカによってもたらされた主権在民がスタートして70年あまり経ってもなお、我々日本国民にとって天皇の継承は未だ遠き所にあるというのが実際ではないでしょうか。

 そして国民的な議論が起きない侭、次々代の天皇たるや秋篠宮家悠仁親王ただひとりという現実があります。敗戦後、国民主権の国となった我々日本の有権者が整える法律に拠れば、天皇の資格は世襲の男子に限られています。この決まりは国民主権、民主主義国である日本国の責任であり、我々有権者が整えている法律を違えて天皇を決める事は出来ません。

 その法律に拠れば、1960年生まれの現天皇徳仁親王の次は、1965年生まれの秋篠宮文仁親王が即位、その次は2006年生まれの秋篠宮家悠仁親王が即位の流れとなり、1935年生まれの常陸宮正仁親王が即位される可能性は言葉を憚られる継承と考えています。

 さて、現今の法律のままでは、秋篠宮家悠仁親王の次の代は2019年現在のところ存在しません。という事は、現今の法律のまま天皇を維持しようとすると、秋篠宮家悠仁親王の配偶者が男の子を産む可能性しかありません。これにつきまして、私自身は秋篠宮家悠仁親王とその配偶者の人権を憂慮し、女系天皇を認めるべきという少考を2017年に発表しましたが、現在

 本来であれば、現今のまま苦しめられる秋篠宮家悠仁親王とその配偶者を守る為に、皇位継承に関する健全な議論が進められるべきであると考えます。秋篠宮家悠仁親王とその配偶者は将来の日本におきまして、現在の天皇徳仁親王や皇后雅子さんと同様に「日本国民の統合の象徴」たる家族になる立場であります。

 我々の象徴ともいえるその家族が、男子誕生の重圧に侵される事は同じ日本人として座視する訳にはいかないのではないかと個人的に考え、私以外の多くの有権者にも共感頂けるのではないかと、私自身は前向きに推測しています。

 しかしながら今回の少考でも述べましたが、日本国民にとりまして「皇位継承」は毎日の生活から縁遠く感じる課題です。これは現在の議論の無さを見ても一目瞭然と言えるでしょう。更に言えば皇位継承どころか、我々の生活の現場である日本全体の出生率を見てみると、現状維持の数字である2には遠く及ばず、高齢者の割合は増え続け、子供の割合は減り続けています。

 これは子供と高齢者の双方にとって損な現状であり、高齢者は将来支えてくれる筈の子供が少ない事を意味し、子供にとっては将来支えなくてはならない高齢者が増える事を表し、緊急な課題と意識されながらも、我々有権者の代表たる国会では、全く有効な手だてが打ち出されておらず、逆に悪化の一途を辿っています。

 これは世の中を治める政治家個人の資質も当然ながら問題視されますが、民主主義国家において、無能とも言える政治家しか選び出せない事は、言わずもがな、我々日本国民のひとりひとりに責任があるのは明らかな事であると推測します。今回、2019年5月、新天皇即位にあたりましてこのような少考を記しておりますが、結論への方向性が見えて来たように思われます。

 令和の時代のひとつ前、平成時代の始まりはいわゆるバブル崩壊と時を同じくしていると思います。それからの10年間20年間30年間は「失われた何とか」等、他人事のように呼ばれていますが、現実の日本社会は低調な経済成長、生活保護受給世帯の増加、少子高齢化、社会保障費の増加など、数々の政治課題に有効な手が打てず、多くの日本国民の生活の現場は緩やかな悪化を重ねていると推測します。

 緩やかな悪化のままであれば何とかなってきたのが平成時代でしたが、令和の時代は少子高齢化がますます進み、社会保障費のお金が無くなって首が回らない、何ともならない状況はすぐそこまで来ていると、多くの有権者は漠然とした不安を大なり小なり抱えていると想像しています。

 その一方で、数々の政治課題を解決する方法として、いわゆる政治家が有効な政策を打ち出す事があります。その政治家を選ぶ唯一の方法である選挙において、問題の大きさと反比例するように投票率は低いままです。

 これは民主主義国において致命的な現象であり、数々の問題に対して有効であると考えられる現場の声が、政治の要である国会に届いていない事を意味します。平成以来の30年は国会に現場の声が届かなかった故に低成長や諸問題の拡大に繋がったものと少考を重ねる所です。

 投票率が低い理由は諸説ございまして、それぞれ尤もな理由にも聞こえるのですが、いずれにしろ御存知の通り投票率の低下は進んでいます。イコール有権者の現場の声が政治に生かされない致命的な現象が三十年以上続いています。私自身は微力で拙い一有権者ですが、新天皇が即位した節目に当たる今回、この少考を通じて建設的な結論を導き出したいと希望しています。

 「低投票率も相まって生活の現場から遠い所にある日本の政治」「次々代の日本国民の統合の象徴である秋篠宮家悠仁親王にかかる重圧は政治でしか解決できない課題」「一般国民の生活と程遠い所で行われる天皇の継承」問題を三つほど挙げましたが、三つの問題に共通する事は、有権者が選挙に必ず行く事で三つの問題は改善の方向が示されるという推測です。

 選挙に参加する有権者が多ければ多いほど、生活現場の声が政治に反映されやすいのが自然であり、問題の解決にも有効と考えられます。では何故有権者が選挙に行かないのか、その大きな理由のひとつに「投票したい候補者がいない」場合が考えられます。例えば現在多く見られる現象として、仮に有権者が十万人の選挙において、候補者二人の一騎打ちの状況の場合を考えてみます。

 この場合、投票率が五十%程度と仮定すると、当選者は全有権者の四分の一あまりの支持を得れば、全有権者の代表者となります。数字を仮に表すと、当選者が3万人、落選者が2万人、棄権者が5万人という場合、3万人の支持を集めた候補者が全有権者の代表者になります。民主主義とはこのような制度であると考えられます。

 しかし、それでは残りの7万人の意見はどうなるのか、現在の日本の現状を個人的に分析しまするに、7万人の意見は政治には反映されていないと個人的に考えています。それが先に挙げた数多くの問題の深刻化を招いていると推測して、少考を続けてみます。その推測が現在の日本の状況の悪化を招いていると仮定した場合、これを改善する手だてはあるのでしょうか。

 ここで話を一旦落ち着かせますと、今回の記事はもともと天皇の即位に関連して、現在の男系継承が難しくなっている現実を表そうと希望して記して参りました。その時に、ただいまの選挙の考察など関係があるのか疑問に思われる事もあるかと思います。しかし現在の法律や憲法の制度上、天皇の継承に対する問題の解決は、一億人を超える日本の有権者の代表者によって解決が図られます。

 仮に選挙の投票率から推論するに、一億人の半分程度、もしくは四分の一程度の意見のみで解決を図ろうとすれば、平成時代の三十年間と同じように問題は解決されず、むしろ悪化を辿るのが平成時代であったと言っても言い過ぎではないでしょう。それをこれからの三十年間、また同じ事を繰り返すのかと、それでは即位された天皇徳仁親王の心配も大きい事だと想像します。

 天皇を支えるとされる皇后雅子さんも思いを悲しくするのではないでしょうか。我々日本国民の統合の象徴とされる天皇の地位ですが、悪化を辿る日本の象徴としての立場とは、言葉も憚られますがそんなものなのでしょうか。そして次々代の天皇となる筈の秋篠宮家悠仁親王も、今後三十年の日本の歩みを踏まえての即位となるでしょう。

 現在の天皇徳仁親王は即位後の五月四日の一般参賀でお言葉を述べられました。それを全て引用しますと

「このたび 剣璽等承継の儀 および 即位後朝見の儀を終えて 今日 このように 皆さんから お祝い頂くことを うれしく思い 深く 感謝いたします ここに 皆さんの 健康と幸せを祈るとともに 我が国が 諸外国と 手を携えて 世界の平和を求めつつ 一層の 発展を遂げることを 心から 願っております」

 となります。この言葉の中の後半部分「我が国の一層の発展を願う」という願いについて、発展どころか後退するのではないか、そう疑問を持つ事が大切だと個人的に思っています。国民の統合の象徴が日本の発展を願っても、何も手を打たなければ発展どころか後退となる事は、言葉を憚られますが、少子高齢化が進んだ平成の三十年間を見れば明らかの筈です。

 そしてその後退は、政治の遅滞によって引き起こされたと想像し、その政治の最終責任者は誰でもない、我々有権者ひとりひとりである事を意識しなければ、我が国の発展はおぼつかない事でしょう。

 あらためて天皇の地位とは、「主権の存する日本国民の総意に基づく」と憲法の第一章第一条に規定されており、その日本国民の総意に基づく天皇が「我が国の一層の発展」を願いつつも、実際の国民においては、発展への手段である政治への参加が低いままであるという、一種の矛盾を抱えています。この矛盾を解決しない限り、国民の象徴の願いは叶わず、同じく国民生活の向上も叶わないでしょう。

 これをお読みの皆様がどう考えておられるのか分かりませんが、個人的な考えを記しますと、例えば経済力世界第二位の中国においては、国民は政治家を直接選ぶ事は出来ず、共産党の頑張り次第で国民生活の向上が図られるという理屈になります。

 一方の経済力世界第一位のアメリカにおいては、大統領を始めとした政治家は国民によって直接選ばれ、その政治家によって世界一のアメリカが成立している理屈となります。これを見るに日本においては、アメリカ型の図式となる筈ですが、実際は中国型の図式になってしまっているのではないかという疑問が個人的に思い浮かびます。

 と言いますのは、一部の有権者しか投票に行かない状況になりますと、選挙で選ばれる議員も偏り勝ちになるおそれが濃くなります。例を出しまして賛否があるかと思いますが実際の所、日本において政権を担当した党は圧倒的に自民党の期間が長い訳で、現実の選挙においても自民党の信任選挙の様を体していると考える事も出来るでしょう。

 55年体制とも呼ばれますが、1955年以降、自民党が政治を担当し、細川政権や民主党政権など、ごくたまに信任を得られない時期もありましたが、日本においては1955年から数えて60年以上、ひとつの党が日本の政治を担っています。これが健全な選挙を経た上で続いている事ならば悪い事ではない筈なのですが、投票率に目をやると、平成以降は特に選挙に参加しない有権者が増えています。そうなれば、実際の有権者の声とは別の政治が行われる恐れが強くなり、その結果が平成時代の低迷でもあったのではないかと個人的に推測する所です。

 文ばかり長くなりまして、なかなか結論まで辿り着かなくて申し訳ございません。このあたりで結論へと話の舵を切ろうと希望しますが、平成の30年は低迷の30年であったと共に、選挙の投票率も30年間、低い数字を表しました。そしてこれからの令和の時代、投票率を低いままにすれば、我々の生活も低迷を続ける恐れが強く想像されます。同じ事を繰り返しても、同じ結果になる恐れは強いのが普通に思われます。

 では今までと違う、すぐに出来る事とは何なのか、それは選挙に参加すれば良いだけの事ではないでしょうか。極端な例として、全ての有権者が選挙に参加すれば、少なくとも平成の時代とは別の歩みとなるでしょう。全ての有権者が選挙に参加すれば、平成よりも悪い方向に進む事は考えにくくなるのではないでしょうか。

 平成を悪く言うようで心苦しいのですが、我々の平成時代の歩みの答えはここまでお読み下さった方ならば答えが出ていると想像致します。そしてこれからの三十年への道として、選挙への参加にもご同意下さるものと希望いたします。

 「選挙に参加する」これが今回の少考の結論です。選挙に参加しなければ、「国民の総意に基づく立場」の健全な継承は遠くなります。選挙に参加しなければ、国民の現場に即した政治からも遠くなり、我が国の一層の発展からも遠くなる事でしょう。

 漸くここまで結論を導き出しましたが、実際には選挙に足を運ぶ人は増えて行かないと考えられます。お読みの皆様は悲しいかなご同意下さると思います。それでは我が国の一層の発展に向けて選挙に足を運んでもらうにはどうすれば良いのか、この更なる結論に向けてひとつの提案を記させて下さい。

 その提案とは、「選挙棄権税(仮称)」を提案します。これは、選挙で投票しない場合、税金を多く納めなければいけないというアイデアです。誰しも納める税は安くしたい筈ですから、投票所に足を運ぶ事になります。もしも投票したい候補者がいない場合は、白票で投票を行います。

 身体の自由が利かない場合でも、選挙管理委員会など自治体が真面目にアイデアを出す事も考えられます。また、生活現場に埋もれている将来の候補者も、有権者が投票に行ってくれる状況であれば立候補をし易くなります。現在の低い投票率でいわゆる新人が当選するのはハードルが高く、いわゆる世襲議員の台頭など立候補者の低レベル化の要因のひとつとして考えられます。

 更にいわゆる選挙戦では、投票率が上がればいわば見張っている有権者が多くなる構図ですから、訳の分からない選挙活動では当選出来なくなりますので、選挙戦にも自然と緊張感が生まれ、いわゆる良質な議員が生まれ易くなる環境と仮定してみます。出費はありません、逆に選挙に参加しないで税金を多く納めるというお目出度い有権者がいれば、税収が増えます。

 このコロンブスの卵ともいうべき選挙棄権税を導入した場合を想像するに、良い候補者が選挙に立候補しやすくなる環境が整い、選挙戦では緊張感が生まれ、その結果良い議員が誕生し、次回の選挙にも同様に緊張感が発生するので真面目に働いて政策提案する、その結果、有権者は議員を選ぶのが楽しくなるという好循環が実現する想定を描きましたが如何でしょうか。とにかく費用がかからない、逆に増収の可能性もあるアイデアである所に面白みがあると愚考致します。

 人間は見張られていないと気が緩む動物であると考えます。また見張られていないと、不正を行いやすくなる道理です。投票率が高くなるという事は、一種見張られているという緊張感が高くなる訳ですから、自然と仕事にも打ち込みます。

 急な例えですが、旧ソ連は指導部にとって都合の悪い事は隠し続けて衰退を招きました。そして情報公開を進めた後はあっという間に崩壊してしまいました。その逆がアメリカ合衆国です。かの国は情報公開こそが国を強くするという考えの下、現在の日本では考えられないほど情報の透明化が行われており、結果、世界最強の地位を今も保っています。

 翻って敗戦以来その子分である日本においては特定秘密保護法や個人情報保護の名の下、不健全としか言いようの無い情報の不透明化が進められており、国の指針を示す重要な基本情報が不正される、いわゆる統計不正を始め、報道にも制限を掛けようとするなど、およそ崩壊した旧ソ連のような規制を進めようとしています。

 例にするのは賛否があると思いますが、その結果が低迷の続いた平成の三十年間であり、皇位継承の先細りに代表される現今の日本の諸問題といえるでしょう。低投票率イコール立法行政司法の弛緩と仮定しています。立法行政司法の透明化を進め、諸問題を健全に検討して解決策を導き出す為には、生活現場の声といえる選挙の投票率を高め、有権者の現場の声を政治に反映させる必要があり、その提言と致しまして選挙棄権税の導入を提案する次第です。

 今月の記し始めでありました皇位継承の問題も、有権者の投票が解決への道を開いてくれるのではないでしょうか。生活の現場で働く有権者のアイデア次第では、私自身が希望する男系継承に繋がるアイデアも出るかも知れません。そんな事を希望しながら、選挙棄権税の導入を提案しまして結論としたいと思います。

 私自身は現在43歳であり、あと30年は充分に働けるつもりでいます。これからの30年、平成の時代に低迷を続けた日本には多くの試練が待っていると想像します。それに対して有権者の現場の声を拾い上げ、好循環が生まれるようなアイデアを募り、数々の試練に向き合いながら、結果的に30年後には、天皇徳仁親王のお言葉、「我が国が諸外国と手を携えて世界の平和を求めつつ一層の発展を遂げる事」が叶うように、微力ながら30年ほどは日々働き続けたいと希望しています。

 最後までお読み下さりました皆様、長々と纏まらない文章にお付き合い下さりましてお詫びと共に感謝を思っています。先にも記しました通り、今後の30年は数々の試練が立ちはだかるかと思います。それでも先にも記しました通り、一億人あまりの日本国民それぞれが試練に向き合い、現場の声でその試練に答えを出して、我々の生活の現場が試練に遭いながらも豊かなものに繋がります事を、重ねて希望しまして結びと致します。

長々とありがとうございました。


2019年5月発表

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